[雑記]:MASTERPLANと批評について

そもそも私は大学生活も終わりに差し掛かり、内定先から課されているEラーニングもほっぽり出して一体何をやっているのか。

それはもう、批評をするということを後輩に教えることに尽きる。批評や思想なんて、身近なものにも向けられなければ意味が無い。学生が身近な自分たちのことを考えられないようではいけないのだ。だからMASTERPLAN第一部はまさに学生身内の問題である「意識の高い学生」というテーマなのだ。

そして二部は、逆に大きな社会のことだ。何故この構成なのかといえば、身近なことを批評するには大きな社会のこともアマチュア程度には考えられなければならないからだ。

実際、頭がキレる奴でもあまりにその団体のことしか知らないヤツは最も敬遠される批評家気取りの学生になる。
これはとても多いし、あまり役にも立たないのは事実で、だからそしてそうなってはいけないと学生はよく言われるし、まずは動けと行動に駆り立てられる。

逆に、それでも批評とかが好きな学生は目の前の現実と切れた大きな部分へそれを向けて自分の実存をなだめる。

いや、実際僕もそうだった。まさか5年になって引き篭っていた和敬塾から出て、早稲田祭のステージという場所に自分の批評みたいなモノを使ってみるまで学生が置かれた現状とは僕にとって他人ごとだった。

早稲田祭のステージで使ったのはポストモダン的言説では使い古された、トップダウンの崩壊とか、プロシューマーとか、ステージ上と客席の人間は入れ替え可能とか、ニコニコ動画で見たほうがコメントつけられてリアルより面白いという話を僕はした。(余談だが、ニコニコ動画にリアルパフォーマンスが勝てるのは、環境や規範によって見る態度をこちらが決定できることくらいしか無い。後ろ向けとか、声出して騒げ、とか。)
結果として採用された僕らの中でのスローガンは「主客の崩壊」だった。そういう感じのもので文章にすればあまりにチープ。
だけど実際にパフォーマンスとしてステージを降りて、みんなが主役だから一緒に騒ごうって、やったらいままでに無い試み、として受容された。
学生が新しいことを考えられるなんて、全くの嘘っぱちだ。
全然、大人のほうが頭もいいし、時代に追いつくのも早い。

そんな大人の言うこととか書いたものをしっかり勉強すれば、こんなにも実り多く楽しい時間が過ごせるのだ、ということを示したい。
第一部は学んできたことを学生という身近な対象に向けてまさに使って見せる。学生なら誰もがゼッタイに楽しめるものになる。
第二部は学生の時にそれを怠ってきた大人よりは、優れた議論ができることを示してみせる。
少なくともお前らに心配されるほど落ちぶれちゃいねーぞ、と。

まぁ、そんな感じでEラーニングブッチして日々広報戦略とか、当日の議論の流れとか、そのために必要な文献とか読んでます。
とにかく、学生舐めてる大人と、大人舐めてる学生に届けたいので、広報にはみなさん協力してください。